振り返る勇気
生活クラブ生協 というカルト団体がある。毒ギョーザ事件で随分注目されたようだ。 遺伝子組み換え作物と石鹸・合成洗剤問題で、非科学的な誇張を垂れ流しているわけだが。「疑わしきは排除」なんて言っていたら、本当に喰うものなくなって飢え死にするぞ。組合員の殆どが女性だという。 主婦的な安心感覚(こういう括りは非常に失礼だが)と、科学をかじった者のリスク感覚とは、そうとうにズレがあるようだ。
殊に、「石けん運動の今」 って、アナクロきわまる。まあ2008年の活動ぶりが見当たらないから、停滞しているのかもしれないが、シンポジウム のパネラーは、「買ってはいけない」の渡辺雄二に、あの「環境ホルモン濫訴事件」 の原告代理人の一人、中下裕子弁護士 か。
生活クラブのカルトぶりは、元生協職員・渡辺宏氏の「安心!?食べもの情報」 で取り上げられている。
生活クラブ流の宣伝が、加入している人に混乱を引き起こしているということですね。「遺伝子組み換え」作物が毒であるかのような宣伝はやはり行き過ぎであると思います。
問題としてとりあげるのは結構なんですけれど、毒というのとは違うでしょう。
遺伝子組み換え作物については、いろいろと話題がありました。この技術を使って「農業界のマイクロソフト」になろうとした馬鹿な企業(注:モンサント社)のおかげで必要以上に悪く思われてしまったのは残念なことでした。
しかし、一般的な育種でも、放射能による突然変異や、細胞壁をなくした状態での細胞融合など、似たようなものではないかと思う技術が使われているのですから、遺伝子組み換え技術だけを特別視する理由はありません。
一般の農作物が安全性の検査などされていないなかで、徹底的な安全性審査を受けた遺伝子組み換え作物の方が安全性が高いという見解もあるくらいですから、とにかくこのことについて心配は無用です。
生活クラブの人とは、一緒にニューカレドニアに連れて行ってもらったこともあり、あまり悪口をいいたくはないのですが、やはりこの宣伝は行き過ぎであると思います。
いつのころからか、一部の生協は社会の現状に対して、不安をあおることで自らの宣伝をしようとするようになりました。
最初はたぶんチェルノブィリの原発事故だったと思います。産直のお茶から放射能が検出されたと称して廃棄処分し、宣伝効果をあげたことがありました。
所沢のダイオキシン誤報事件でもそうでしたが、お茶のように乾燥してしまうと、重量あたりの比率は大きくなってしまうのです。だから生の状態では問題なくても、乾燥した後は大きな数値が出てしまいます。これを利用したのですね。
その後、ダイオキシン、環境ホルモン、電磁波などいろいろと手をつけましたが、どれももう一つヒットせず、唯一遺伝子組み換え作物についての宣伝がある程度効果を上げているというところです。
私はこれを「マッチポンプ作戦」と名付けていました。電磁波が危ない、などという宣伝をするときは防除グッズとか、電磁波測定機器とかを売って儲けようとしましたので、人のことは言えないのですけれどね。
ホットケーキミックスについては、心配なら使うのをやめなさいという単純な見解があります。そもそもこうした高度に加工したことが前提の食品について、このような心配をすることはあまり意味がありません。
そもそも、添加物を使わないホットケーキミックスというのは、形容矛盾というものです。小麦粉にあらかじめ必要な添加物を加えたものがホットケーキミックスなのですから。
安全かどうかという事実の問題なら、何も問題はありません。
心配かどうかという心の問題なら、心配になった時点ですでに問題なわけです。この心配を解消する手段はとりあえずはないわけです。
その上で、心配を事実を調べることによって解消しようとするか、心配なものは避けて通るようにするか、どちらかの手段をとることになります。
もちろん私は前者の立場ですから、事実を見れば安全性に問題はないと言っているわけです。
しかし、このことで心配が解消するかどうかは人によって違います。心配が残るようなら、避けて通ればよいのです。ホットケーキミックスを使わなければ困るようなことはないはずです。もし困るようなら、その方が私には心配です。
ただし、避けて通るというのは、とりあえず目につくところは回避するということで、本質的に避けることはできないことは認識しておくべきだと思っています。目に見えないものまで本気に心配をはじめるようなら、これはもう病気というものです。
目に見えないものは避けなくてよいのかなどと追求して、最後はすべてを教祖様にすがるように持っていく、宗教屋の手に落ちないように注意してください。
生活クラブなどの宣伝手法を私が批判するのは、こうした手法が本質的に詐欺師やカルトに道を開くものであるからです。彼ら自身がそういうものなら批判しても仕方ないのですが、昔の仲間ですので、そこまで腐敗しているとは思いたくないのです。だからこそ、いい加減にしろといいたいわけです。
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
はじめまして。先日からメルマガを読ませていただいております。大変興味深く、ありがたく思っています。
ところで、今回生活クラブについて話題がでていましたが、どのような点が”腐敗”と思われるところなのでしょうか?
現在、加入を検討していたため、気になってしかたありません。もしよろしければ、教えていただければと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
生活クラブが言っていることが、ある人から見て間違っていたとしても、「腐敗」と言われる筋合いはありません。そう言われるのは、ある意見を(ウソと知りながら)自分たちの運動のために利用しているときです。
その件に関して知識のある人には信じられないかもしれませんが、幹部も含めてほとんどの人が実はその意見(ここでは遺伝子組み換え作物に毒があるようなこと)を本当だと信じているのです。
したがって、私はやっていることは間違っているが、腐敗というほどのものではないと思っています。前回紹介した方のご意見では、「お馬鹿さん」などと言われていましたが、私はこれには同意します。
似たような意見が以下のお便りです。
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
生協の一部の人は、最近でも、イリーナ・エルマコヴァ氏の講演ビデオを会報に乗っけているのですね。
この講演の疑惑については、以前に取り上げられているので十分ご存知だと思います。
とんでもない、講演会ですが、主催した生協側では、今でも、この講演内容は誤りではなくて、正しい内容であったと認識しているように捉えられます。
遺伝子作物に毒性があることを知らしめるためには、科学的に正しいとは思えない理屈であってもこれを利用して、広報すべきだとの意思を持っているものとしか考えられません。
まるでカルトのやり方です。 目的を達成するためには手段を選ばず、あるあるの捏造と全く同じ構造です。社会的正義を無視するやり方です。
この講演会の主催者である生協が、単に誰かに操られた「おばかさん」ではなくて、遺伝子作物追放に燃える強い意志を持った「狂信者」であることを知らしめる必要があろうかと思います。
「安心!?食べ物情報」と名づけたメールマガジンを発行されている主催者としては、その出身が生協であろうとなかろうと、この事実を無視することは好ましいことではないと思います。 一部生協の運営者は、その使命を履き違えているとしか思えません。
私は、遺伝子作物は使いようだと思いますし、遺伝子作物が毒物とは思いませんが、遺伝子作物が毒物であると信じることや、その危うさを指摘することを否定するつもりはありません。しかし、正しい議論を通じてこそ、その正当性が納得させうるものだと信じて
います。
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
さきほど「知識のある方」という書き方をしましたが、まさにそういう人のご意見ですね。どうしてこんなインチキを持ち上げるのか理解できないところです。
彼ら(生活クラブをはじめとする、こういう運動をしている人たち)が、どうすれば科学的な知見を受け入れることができるのか?ということになると、やはり難しいように思います。
私の感想では、彼らは事実に関しての知識はないのですが、政治的な「思想」はあって、それを単純な知識の上位に置いているので、下々の係わるような単純な事実関係の認識は軽視してしまうのです。
そのために賢い人だし、食品を扱う仕事をしているのに、食品に対する現実的な知識を持ち合わせていない、という奇妙な構図になってしまいます。
ほとんどがそうした「無知」ですが、その中で本当は知識がありながら運動のためにこれを利用しているデマゴーグがいるのかどうかについては私にはわかりません。いずれにせよ、やっていることはおなじで、間違っていることには違いありませんが。
あと渡辺氏、前にも取り上げたことがあるが、 生協界では中西準子氏の名前を出しただけで白い目で見られたのだという。引用を交えて取り上げている。
当時は協石連に代表される、いわゆる消費者運動と中西さんの関係は良好だったのですが、その後の時代の流れで、(詳しくは知ませんが)今やあまり良好ではないようです。私は何度も協石連の大会に参加していますが、納得できる話を大会で聞いたのは後にも先にもこれ一度だけです。中西さんの話は数字に裏付けられ、事実を追求するものでした。それに対して、他の人の話はみんな、先に思想があるのですね。いくら立派な思想でも、それをただ語るだけでは単なる思いつき、思い込みです。
運動を発展させるためには、そういう思いつき、思い込みを広げていくべきだ、という考えがどうしてもあるのです。中西先生が運動サイドのインチキやごまかしを見逃してくれないため、今や彼らはかつての行政と同じ、悪口を言う側にまわってしまいました。中西さんはこう語っています。
--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------
もともと私は、下水道のことをやっていたときも、公害問題をやっていたときも、ある程度の経済的なことを考えなければ意味が無いと考えてきましたし、経済的な裏付けが無ければ実現しないものだと考えてきました。
ところが、生活が豊かになってきたせいか、自分の健康リスクのようなものを削減するためにはいくらでもお金を掛けてもいいとか、環境のためなら無限にお金をかけてもいいとか、そういう議論が出てきました。
そこで、今度私はそうじゃないですよと、環境リスクにしても何にしても、ある程度経済的な負担をどれくらいにするかということを考えなくてはいけない、と言うわけです。
何よりも世界全体でいえば、途上国の人は貧しくてどんどん命を失っているという現実があるのに、先進国が自分たちのちょっとしたリスクを削減するために猛烈なお金をかけるというのは納得が出来ない、という思いがあって、もう少し合理的な環境対策が出来な
いかと提議するようになったんです。
そうすると今度は、市民が先に行ってしまって私が遅れたのか、どっちが先に行ったのかわかりませんが、市民運動から批判されるわけです。環境至上主義という感じの市民運動が多いですから、反動みたいに言われることがすごくあります。
(略)
下水の場合、一般的に市民運動は、下水処理場建設反対運動みたいなものから出発するんです。私なんかはそうではなくて、もっと良い下水処理場を作ろうという立場なんです。もっと良い河川計画を立てようとするわけです。
今有る案に反対するのは変わらないけれど、全体としてこの案がいいですよと、対案をつくるという考え方で反対をする。理想の形が違うんです。一緒に見えても違うものになってきているわけです。
だから市民運動に関しては、一点突破的な、反対だけすれば良い、自分のとこだけこうなれば良い、という感じから卒業していないなという気がします。
この30年で市民運動が盛んになって来ましたが、全体を見て、
国はこう治めるべきだよ、というような論理の体系を提供しているような市民運動は無いな、という気がします。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/YNU_intarview.htm
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
どんな運動も、自ら振り返り検証し、合わない部分は時代に合わせて変えていく勇気が必要だ。思想先行科学欠如、スローガン自体が自己目的化すれば、容易にカルトに堕ちる。











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